安岡正篤一日一言8 1月25日 幸と福(2)そうではなくて原因を自己の中に有する、即ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。福という字がそれをよく表しておる。示偏というのは神さまのことだ。示というのは上から光がさしている、神の光、叡智の光を表す。旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。農家でいうならば俵(たわら)を積み上げるという文字。神の前に蓄積されたるものが「福」である。節分の日が2月3日で固定されていない?‥豆を撒く理由とは *安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言六中観 [正篤 ]忙中 閑有り。 苦中 楽有り。死中 活有り。 壺中 天有り。意中 人有り。 腹中 書有り。甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す亀井老契 座右
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安岡正篤一日一言8 1月24日 幸と福(1)「さいわい」にも幸と福と二字ある。学問的にいうと、「幸」というのは幸いの原因が自分の中にない、偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、これは幸。これは当てにならない。節分の日が2月3日で固定されていない?‥豆を撒く理由とは *安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言六中観 [正篤 ]忙中 閑有り。 苦中 楽有り。死中 活有り。 壺中 天有り。意中 人有り。 腹中 書有り。甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す亀井老契 座右
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安岡正篤一日一言8 1月23日 人物の見分け方(2)臨喜臨怒に涵養を看るは、喜びや悲しみに際して恬淡(てんたん)としているとか、どんなに怒るかと思っていると悠揚としているなど、平生深く養っておればそれが出ることだ。 群行群止とは、大勢の人間と一緒の行動をしているとき、その人の識見が現われることをいう。*安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言六中観 [正篤 ]忙中 閑有り。 苦中 楽有り。死中 活有り。 壺中 天有り。意中 人有り。 腹中 書有り。甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す亀井老契 座右
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安岡正篤一日一言8 1月22日 人物の見分け方(1)「大事・難事には担当を看る。逆境・順境には襟度(きんど)を看る。臨喜・臨怒には涵養(かんよう)を看る。群行・群止には識見を看る」これは呂新吾の呻吟語に出てくる言葉であるが、大事難事がおこったときは、人の担当力を看るだけではなく、自分自身がどう対処し得るかと内省する意味がある。逆境順境に襟度を看るは、襟は心であり、度は度量である。襟度(きんど)とは‥〘名〙 人を受け入れる心の広さ。度量。雅量。※明極楚俊遺稿(14C中か)超推官舎人茶屋「名賢襟度別。雅淡似二僧家一」※戦陣訓(1941)三「常に大国民たるの襟度を持し、正を践(ふ)み、義を貫きて」 〔宋史‐銭若水〕春分の日が年によって違うこと、お彼岸・お墓参りの意味や由来‥*安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言六中観 [正篤 ]忙中 閑有り。 苦中 楽有り。死中 活有り。 壺中 天有り。意中 人有り。 腹中 書有り。甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す亀井老契 座右
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安岡正篤一日一言8 1月21日 王陽明の抜本塞源論(1)その教を要約すれば、ややもすれば見失い易い道心を把握して人倫を厚くすることにすぎない。根本はここにあって、学問ということもこの事を出るものではなくただ親に孝にその長に弟に、心体の同然に復らせるにあるのである。それは元来人々本具のもので外から借りてくる必要のないもの、誰にもできることなのである。節分の日が年によって違う、ずれる?‥豆を撒く理由とは*安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言六中観 [正篤 ]忙中 閑有り。 苦中 楽有り。死中 活有り。 壺中 天有り。意中 人有り。 腹中 書有り。甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す亀井老契 座右
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